フランコ・スコーリオ



フランコ・スコーリオ(Franco Scoglio 1941年5月2日生)
 [イタリア・サッカー監督/解説者]


 シチリア州のエオーリエ諸島・リーパリ島の出身。
 プロ選手の経験がまったくない叩き上げの独学派。レッジーナの育成コーチからキャリアを始める。

 1972年に初めて率いたのはレッジーナのユースチーム。その後、ジョイエーゼ、メッシーナ、アチレーアレを経て再びレッジーナに戻った。

 1981年、ジョイエーゼに復帰し、初めてリーグ戦のタイトルを獲得。カラブリアとシチリアを渡り歩いたあとメッシーナに復帰し、セリエBへの昇格を果たした。

 1988年からはジェノアを指揮。長年セリエBに低迷していたジェノアを見事にセリエAに連れ戻し、翌年には11位で残留を勝ち取るという快挙を成し遂げた。

 しかし1990年から1998年まではスコーリオにとって苦しい時期となり、1シーズンを通して一つのチームの監督にとどまることはできなかった。

 1998年にはチュニジア代表の監督に挑戦し、2000年のアフリカ選手権で4位に入った。

 2001年2月にはジェノアに復帰。2002年ワールドカップ出場に向かって進んでいたチュニジアを離れ、ジェノアを残留に導いたが、翌年には再びアフリカに新天地を求めた。リビアの代表監督に就任し、2006年ワールドカップ出場を目指したが、結局2004年アフリカ選手権予選でコンゴに勝った試合がリビアの監督としての唯一の試合となった。

 監督を辞してからは、その理論家肌の弁舌とエキセントリックな人柄を生かし、TVコメンテーターとして人気を博した。

 2005年10月3日、ジェノヴァのローカルTV局の討論番組の生放送中に議論を交わしていた最中、急に口ごもったスコーリオは、座っていたソファーに頭をもたれかけ目を大きく見開いたまま何も言わず静かになってしまった。気付いた司会者が彼に近寄り、頭に触れたが意識を失ったままだった。

 急遽、放送は中断され、すぐさまテレビ局のスタジオに医者と救急車が呼ばれたが、その場で死亡が確認された。急性心不全であった。

 2005年10月3日死去(享年64)


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