トム・プライス



トーマス・モルドウィン・プライス(Thomas Maldwyn Pryce 1949年6月11日生)
 [イギリス・レーシングドライバー]


 10歳でパン運送用のバンに乗ったことから車に興味を持つが、実は両親も彼をレーサーにしようとしていた。だが1975年のインタビューでプライスが語ったところによると本当はパイロットになりたかったが、成績上無理だと思いあきらめたという。

 16歳で学校を中退後、母の意向により、もしレーサーになれなかったときの保険としてランドリロ・テクニカル・カレッジでトラクターのメカニックの研修を受けた。

 プライスはメカニックとして働きながらF3やF2に出場。1974年にトークン・フォードに乗りベルギーグランプリでF1デビュー。

 1975年に結婚。同年オーストリアグランプリで3位に入賞し、イギリスグランプリでポールポジションを獲得する。ブランズハッチで行われた非選手権戦の「レース・オブ・チャンピオンズ」では、ポールポジションとファステストラップを奪ったうえ優勝するという活躍を見せた。イギリス期待の若手ドライバーと見る向きも多かった。

 1977年キャラミサーキットで行なわれたF1南アフリカグランプリ決勝中、プライスの同僚であるレンツォ・ゾルジがエンジントラブルに見舞われ、最終コーナーを立ち上がった付近のコース脇にマシンを止め降車した。その直後にゾルジのマシンから炎が上がったため、消火器を手にしたマーシャル2名がコースを横切り、ゾルジの車に走り寄ってきた。

 現場は各マシンが高速でコーナーを立ち上がってくる区間であり、しかも急勾配を登った先のため見通しが悪く、非常に危険な状態だった。

 このときプライスは22周目でハンス=ヨアヒム・シュトゥックを追いかけながら事故現場付近に高速で接近していた。前を走るシュトゥックはコースを横切るマーシャルに気付きとっさに避けることができたが、すぐ後ろを走っていたプライスはなすすべもなくマーシャルのジャンセン・ヴァン・ヴーレンをはねてしまい、その際マーシャルが手にしていた消火器がプライスのヘルメットを直撃、ヘルメットが吹き飛ばされてアゴヒモがプライスの首を切りつける形になり、プライスはマシンに乗ったまま即死した。

 プライスにはねられたマーシャルも時速300km近いスピードで跳ねられた衝撃で体が縦方向に身体が激しく数回転しながら宙を舞い、遠心力で腕や足が伸び上がり、地面に叩き付けられる悲惨極まりない状態で即死している。事故の一部始終はシネカメラで撮影されており、モータースポーツ史上で最も衝撃的な事故映像のひとつになっている。

 プライスは即死したが足がそのままアクセルを踏み続けていたと見られ、マシンは270km/hでホームストレートを暴走、インコースのガードレールに接触したまま第1コーナーに突っ込み、コーナーに向け減速していたジャック・ラフィットのリジェに接触した。ラフィットはブレーキをかけてマシンをコントロールし、最悪の事態からは免れた。

 ようやく停止したプライス車に救護班が駆け付けたが、コックピットの中は血液と体液が入り交じった悪夢のような惨状であり、プライスは仰向でハンドルを握り、アクセルを踏み込んだ形のまま硬直していた。27歳没。はねられたマーシャルも遺体の損傷がひどく、レース後全員を集合させ、欠員を確認して初めて身元が判明した。


 事故の原因は不慣れなマーシャルが不用意にコースを横切ったことだと見る意見が多く、プライスは不運なもらい事故で死亡したことになる。

 1977年3月5日死去(享年27)


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