永野一男



永野一男(ながのかずお 1952年8月1日生)
 [実業家]


 岐阜県恵那市に生まれる。15歳のとき、島根県の叔父宅に預けられ、現地の中学校を卒業し、集団就職で日本電装に入社したが、2年で退職。その後は転職を繰り返し、商品取引業者の岡地に入社。岡地では高い営業成績を上げていたが、顧客の金を勝手に小豆市場につぎ込んで大穴を明けたことが発覚して解雇されている。その後も再び職業をめまぐるしく変えているが、この間の1976年3月30日、大垣競輪場のトイレでスリを働いて逮捕されている。

 1981年4月22日に「大阪豊田商事」を設立。永野が「豊田」を会社名に入れた理由は、中学校を卒業して最初に就職した先がトヨタグループの自動車部品メーカーである日本電装であったためで、約1年後に「豊田商事」とする。

 豊田商事は現物まがい商法による悪徳商法によって被害者数は数万人、被害総額は2000億円の巨大詐欺事件を起こした会社として社会的に注目されていた。

 豊田商事で数千億円もの金を集めるのに成功し、高級乗用車を乗り回し、さらには自家用のクルーザーまで保有するなど派手好みではあったが、一方で「顔を知られると殺される」とマスコミを嫌い、社員ならびに役員にも顔をほとんど見せなかった。

 1985年6月18日、大阪市北区にあった永野一男豊田商事会長のマンションの玄関前に「今日逮捕」との情報を聞きつけてマスコミ取材班が集まっていた。午後4時30分過ぎ、被害者の元上司に当たる自称右翼の男二人が永野の部屋の前に姿を現した。二人は張り込んでいたガードマンに「永野に会わせろ」と要求。連絡を取るためにガードマンが階下に下りた後、二人は元部下の被害者6人から「もう金はええ、永野をぶっ殺してくれ」と頼まれたと報道陣に語った。そして窓の格子を蹴破り、窓ガラスを破って侵入、永野の頭部など全身13箇所を銃剣で刺した。当時永野の住んでいた部屋のドアの前などには大勢のマスコミがいたが、あまりにも突然の出来事で驚き、誰も止めようとはしなかった。永野は直ちに病院へ運ばれたが、腹部を刺されたのが致命傷となり、出血多量により約40分後に息を引き取った。この時の永野の所持金はわずか711円だった。部屋から出た犯人らは、「警察を呼べ。俺が犯人や」と報道陣に語り、その場で逮捕された。

 永野が惨殺された際の映像はNHKや民放テレビ各局で中継された。この時NHKは「子供には見せないでください」と慌ててアナウンサーが呼びかけた。その後発売された『FOCUS』では、犯人の一人が血塗れで断末魔の形相の永野を抱え、もう一人が銃剣を持つ写真が誌面を飾った。

 その後の詐欺事件の捜査で豊田商事が集めた金の殆どが流用されて、残っていなかったことが判明するが、最高幹部が死亡したため、金の流れに関して解明が難しくなった。結果的に捜査に支障をきたしたので、犯人は関係者に口封じのために殺人を依頼されたのではないかといった憶測も流れた。

 また、名だたる大物政治家に多額の闇献金を行っていたという噂もあったことから、自分のところまで捜査の手が及ぶのを心配した政治家が放った刺客により、殺害されたという話も存在する。

 結局、生前語っていた「顔を知られると殺される」は現実のものとなってしまった。尚、「女房に累が及ぶ」との理由から結婚せず、生涯を未婚で通した。

 1985年6月18日死去(享年32)


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