藤田小女姫



藤田小女姫(ふじたこととめ 本名:藤田東亞子 1938年1月4日生)
 [霊感占い師]


 福岡県生まれ。幼いころ、両親が離婚し、父親と生き別れる。太平洋戦争で実家が空襲に遭ったため、知人を頼って各地を転々とした。9歳のとき、ハワイのキツネが憑依し、霊感を得たという。1950年、小学校6年生のとき、『サンケイ新聞東京』の社会面トップに「奇跡の少女現る マリを突きながら何でもズバリ」との見出しで占いがよく当たる少女として紹介された。この当時は「ことど姫」と名乗っていた。サンケイ新聞の産経ビルの中の1部屋を与えられ、経営陣に可愛がられる。

 その後も霊感を持つ占い師として雑誌やテレビで取り上げられ、政財界の大物を顧客として財を成した。日米安保条約の成立と岸信介首相の退陣、今上天皇の結婚、朴正煕暗殺事件、周恩来中国首相の死などの予言を的中させたと言われる。しかし1961年、不動産業者と結婚するが、3年で離婚。1968年3月13日に名目上の経営者となっていたサウナが火事で死者を出す惨事となり、経営者責任を問われる。これらのことからマスメディアからその占いの能力について疑問を投げかける批判が起こり、応援してきた年配の有力者たちも離れて行った。1973年、40歳のとき、ハワイに移住し、企業コンサルタントとして活動。

 1994年2月23日午後4時頃、取引先の銀行に融資依頼をしていたが、藤田の電話の声が怯えていると感じた銀行員が領事館に連絡し、1時間後の5時頃に領事館職員がマンションに駆けつけるとボヤを発見。火は駆けつけた消防隊員によって消火したが、その部屋のクローゼットから藤田小女姫の射殺体が発見された。また同日に、殺害現場の高層マンションから数キロ離れたホテル駐車場で1台の乗用車が炎上しているのが発見。乗用車の中には手足がテープで縛られ、胸を銃撃された藤田のハワイ大学の学生だった一人息子(20歳)の焼死体が発見された。

 交友関係の捜査の過程で、藤田の息子のスキューバダイビング仲間で銃器不法所持の前歴があった日本人男性A(28歳)が浮上。その後の捜査で、事件現場近くであった男性Aが住むアパートから犯行に使われたのと同じ弾丸が発見された。さらにソファから検出された血痕のDNAが藤田の息子のDNAと一致。また、男性Aが藤田が所持していた貴金属類を質屋に持ち込んで2000ドルを借りていたことが判明。これによって、捜査機関は藤田親子を殺害したのは男性Aであると断定した。

 裁判では男性Aは遺体の搬送を手伝っただけであり殺害に関与していないと主張して殺害を否認した。しかしホノルル市警による血痕のDNA鑑定を根拠に4月3日に起訴されており、8月23日にホノルル巡回裁判所は男性Aを藤田親子を殺害した実行犯と認定して、第二級殺人罪で終身刑が言い渡され確定した。なお、ハワイ州では死刑制度が存在しない為、終身刑は最高刑であるが、30年服役すれば出所できる可能性がある。

 また、藤田が生前記録していたと言われる「ノート」がいまだに発見されていない。このノートには「政財界のエピソード」が書かれたとされており、そのノートが世にでると困る大物が殺害事件の裏にいるという陰謀説が存在する。

 1994年2月23日死去(享年56)


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